:: 三丁目通信 2003 ::Hotwired Japan 更新メール後書き |
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●12/24/2003 時節柄ということで、今年お送りしたWIRED NEWSやコラム記事を振り返ってみる。気になるのは、ITによるセキュリティの強化とそれに対してプライバシー侵害を懸念する、といった内容の記事が急増していることだ。 アメリカでは、9.11以降、テロ防止を名目に、あらゆる個人情報のデータベース化と監視システムの強化が進んでいる。アメリカ、イギリスに端を発するこの流れは、世界各国に広がっていて、日本でも、確実に大きな問題となるだろう。「国際社会の一員」としての一歩を踏み出すことは、リスクをも共有することでもある。ICタグ、ITS、顔認証・・技術は、すでに揃っているのだ。あとは、使い方次第。技術は、ひたすら一面的な‘便利’を追求しがちだ。そこで問題となるのが、IT技術と法律、との関係だ。ITと法、がさらに重要な課題になると思う。 ・・また、米国主流メディアの偏った報道に嫌気がさした米国市民たちが、国外のネットメディアに情報を求めた、という記事は、こんな時代のネットの役割を感じさせて、印象に残る。 「対イラク戦争の情報を求め、国外ニュースサイトに向かう米市民」 それでは、みさなん、今年1年ご愛読いただきまして、ありがとうございました。よいお年をお迎えください! ●12/16/2003 先週の朝日新聞「英でIDカード論争」という記事が気になった。イギリスで、指紋・目の虹彩を刷り込んだIDカード導入が、提案され議論を呼んでいるという。まず、パスポートや運転免許証の更新、新取得者に配布し、10年以内に、国民の80%以上が所持した段階で、義務化を議会に諮り、カードがなければ、教育・医療などの公共サービスが受けられないようにする、というもの。 一方、アメリカでは、来秋から、バイオメトリクスを記録したチップ付き新型旅券がないと、短期滞在でもビザを義務づけると発表している。こうした9.11以降の警備強化の動きは、世界各国に広がっている。 以前から、イギリスでは、監視カメラが多く‘監視社会化’が問題になっていた。ロンドンで、民間・公共合わせて50万台で市民14人に1台の割合。ちなみに日本の状況を調べてみると・・東京の監視カメラの数は、およそ200万台、と言われているようだ。 来年は、日本でも、IT技術と監視社会化、が大きな問題となりそう・・。 ●12/9/2003 ようやく・・ビデオで『マイノリティ・リポート』を観る。監視社会とか、犯罪予知逮捕システム、といった話題はさておき、描かれていた近未来社会の設定「美術」が気になった。「未来」をビジュアル化するのは、なかなか難しい。特に設定が近未来で、現在の気配も感じさせつつ、かつ未来をイメージさせるビジュアルは、対象が日常的な道具になるほど難しいものだと思う。下手な未来イメージは、後年、格好の物笑いの種になるものだ(ディズニー・ワールドの「スペースシップ・アース館」は笑えます)。 その点『マイノリティ・リポート』は、かなり頑張っているように思えた。住宅、乗り物、テレビ系、PCインターフェイス、電話、ゴーグル、それぞれ現在ある道具を延長させる形で造形している。 原作が同じディックということもあってか、『ブレードランナー』のイメージを引きずっているけれど、ヴィークル系や住宅に比べてデジタル・デバイス系は、より細かな描写になっている。『ブレードランナー』が制作されてからすでに20年。この間に進化した分野が、そのまま映画で描かれた未来にも確実に反映されているのだ。 さて、20年後に制作される近未来SF映画は、どう描かれるだろう。エネルギー源の変化が描かれる、というようなことはあるだろうか・・。 ●12/2/2003 地上デジタル放送がスタート。膨大なコストをかけながら、どれほどのメリットがあり、これからどのくらい利用されていくのかわからないが、すでにルビコンの川を渡ったことは確か。11年以降、アナログ放送を終了すると言われているし。一方で、インターネットによるコンテンツ配信も、これから急激に進展していくことは明らか。時代の流れに沿って、その効果と負担のバランスを柔軟に判断してほしいもの。 ルビコンの川を渡りつつある、といえば、自衛隊のイラク派遣。政府は、すでに大きな決断と覚悟をしているようだが、その理由の説明がしっかりなされているようには思えない。「国際社会の一員」とか「国益」とか言われても、妙に言葉だけが上滑りして、しっくりこないのだ。こちらも状況の変化に合わせて柔軟に判断してほしいものだが、私たちも、「国際社会の話」とは別に、自分の身は自分で守る、という覚悟があらためて必要な状況になってきているようだ。 今、たいへんな転換期にいることは間違いない。 ●11/26/2003 いやぁ、カゼが長引いていて参ってます・・。 さて・・NHK-BSで久しぶりにコッポラの『ワン・フロム・ザ・ハート』を観る。オールスタジオ撮影で、何かいびつな映画なのだけれど、映画作家コッポラの意欲や欲望が渦巻いていて圧倒される。ちょっと元気をもらった。 翌日のコッポラ・インタビューでは、影響を受けた監督として、エリア・カザン、黒澤、フェリーニの名を挙げていた。たしかに、『ワン・フロム・ザ・ハート』はフェリーニ。それに『ゴッドファーザー』のマーロン・ブランドの役どころは、エリア・カザンの『波止場』でのブランドのイメージや設定を引き継いでいる。そのコッポラが作った『カンバセーション…盗聴…』でのジーン・ハックマンは、トニー・スコット監督『エネミー・オブ・アメリカ』で、設定そのままで、続編のように登場している。映画は、こうしてイメージや撮影方法を次々とバトンタッチしてきたのだろう。 しかし、近年のように過剰な著作権保護の流れの中では、こうした映画作りは難しくなるに違いない。知的財産保護は重要だけれど、その行き過ぎもクリエイティビティを阻害する・・。そんな問題を、今回の特集「日本のクリエイティブ・コモンズの可能性」では、考えています。みなさんも一緒に、これからの著作権のあり方を考えてみませんか。 ●11/18/2003 話題の田中秀臣+野口旭+若田部昌澄の3氏による『エコノミスト・ミシュラン』を読む。3人の座談会と最近出された経済本31冊の書評で、現在の経済論壇の見取り図をわかりやすく解説しながら、妄言繰り返すエコノミストをバッタバッタと斬りまくる。いやぁ、痛快。俎上に載せられるのは、木村剛や齋藤精一郎、榊原英資、金子勝、リチャード・クー、とメディアで名の知れたエコノミストばかり。この本が数年前に出ていれば、いろんな経済本を読んでは、頭を混乱させ、時間を無駄にすることもなかったのに〜。 その意図は、今週更新の野口旭氏のコラム「ケイザイを斬る!」で、詳しく書かれている。 「それは、一言でいえば啓蒙である。この場合の啓蒙とは、最も一般的には、ある問題の解決に関して、ある政策が望ましく、別の政策が望ましくないのはなぜなのか、それぞれの政策のありうべき利害得失とは何かなどについて、広く一般社会に説明し、「民意」を喚起する活動のことである。これは、経済学者という立場からすれば、アカデミックな観点からの研究業績には結びつくことのない、まったく無駄そのものの活動である。しかし、経済学の存在意義を何らかの意味での社会改善に求めようとするのならば、必ず彼らのうちの誰かがやらなければならない事柄でもある。」 テレビに登場する有名エコノミストのいい加減な解説聞く前に、この本を読まれることをほんとにオススメします。 ●11/11/2003 加入している地元ケーブルTV局から、新しいセットトップボックス(STB)が届く。届く・・というか、わざわざ作業員のお兄さんがやってきて、設置してくれる。先日、10月末でそれまでのサービスセットを廃止して、地上デジタル放送も見れる新しいSTBをレンタルするという案内があったのだ。新しいSTBは、認証ICカード方式。これで12月から始まる地上デジタル放送も配信されるわけだが、この認証CASカードと住基カードとを合体するというプランもあるというし、どうなることやら。 で、STBが設置され、作業員のお兄さんが帰り、さぁ、どんなものか、と確認しようとしたとたん、何も反応しない。いろいろリモコンのボタンを触るが万策尽きて、サポートセンターに電話すると、フリーズすることがあるので電源コードを差込直してくれ、とのこと。笑。テレビもフリーズする時代だ・・。 視聴できるチャンネルは、ちょっとだけ増えたが、リモコンがやたら使いづらくなっている。地上波、BS、CSの切り替えが、とても面倒なのだ。リモコンのインターフェイス設計の問題だ。パソコンならこのくらいの操作は我慢できるだろうけど。テレビも進化しているわけだが、受け手のマインドは、シンプルなテレビを懐かしむ・・。 ●11/5/2003 はてなダイアリーを含め、blog界隈は相変わらず活況だが、先日、作家の池澤夏樹氏のサイトも一部Movable Type化していることに気づく。 しかし、ツールの話よりも、新しいコラムシリーズの展開が楽しみだ。初回でこういう。 「・・では希望とは何か? 実を言えば、希望はいつだってあるのです。なぜならばそれが希望の定義だから。 時が流れる以上、事態は変化しますし、変化の中には良いのも悪いのもある。だから、希望というのは時が持つ資質の一つに過ぎない。 必要なのは希望を具体化することです。災厄の一つ一つを検討して、希望の側に繰り込んでゆく。 それがパンドラを妻としてしまったエピメテウスの義務です。」 ・・心に刻みたいと思う。 ●10/28/2003 地元の駅前広場で、学生らしき人が、一人でガラガラの大声を張り上げている。また、なにか怪しい政治団体か宗教団体かと思い通り過ぎようとすると、「あしなが育英会」の街頭募金だった。チラシをもらう。こうある。 「親の収入が子どもの進学を左右する、所得と教育の二極分化が加速し、遺児家庭を進学もできない、就職もできない窮地に追いやっています。 あしなが奨学金を受け、今春高校に入学した1年生は1127人(うち自死遺児は179人で、4年前の10倍に激増)。母子家庭813世帯の平均勤労年収は140万2725円(01年の所得証明)、一般世帯の3割しかありません。母親の5人に1人は無職で無収入。3年前と比べて3割も減っています。 来年3月に卒業予定の高校生に対する求人倍率は0.53%。求人倍率1倍を越えたのは東京都と愛知県だけ。最も低かったの青森県は0.10倍で、北海道0.21倍(中略)・・と厳しい状況です」 う〜ん、予想以上に厳しい数字に言葉が出ない。ほんの気持ちばかりの少額を協力させてもらいました。 ●10/21/2003 さわやかな季節。秋ですね・・。 さて・・池澤夏樹氏の『静かな大地』を読む。明治初年、淡路島から北海道に入植した一家が、家を建て、畑を耕し、馬・牛を飼って、徐々に北の大地を切り開いていく。そこで、交差するアイヌの人々、アイヌの知恵、アイヌの物語、アイヌの生き方。そして、アイヌの没落と悲劇。 朝日新聞のPR誌『一冊の本』10月号に掲載された池澤氏のエッセイによると、この小説は、「半分まではぼくの先祖の話である」という。さらに「祖先たちを狂言回しに使って、アイヌの人々の思想と文化と受難を書く。(中略)個人史を書くべき小さな説の中に大説を持ち込むことが自分の技量で可能かどうか。アイヌに対する日本人のふるまいを難じようとして正義を背負ってしまうことにならないか。読者が読みたいのは小説であって政治と倫理のパンフレットではない。」とも。 これまでの作品スタイルとはぶいずん違うこの小説を、それでも書かねばならない、と池澤氏を突き動かすものがあったのだろう。そして、アイヌの人々と和人の物語は、誰かによって書かれなければならなかったのだろう。日本の近代は何を獲得し、何を捨ててきたのか、静かに考えさせられる。 ●10/15/2003 めっきり秋の気配ですね。早いなぁ〜。 さて・・ジョセフ・メン著『ナップスター狂騒曲』を読む。これまでネットビジネス成功・転落の物語はいくつも読んできたけれど、その中でもこの本は最高に面白い。17歳のハッカー青年のアイデアから始まったナップスターが、いかに急激な成長を遂げ、会社組織化され、混乱し、没落していくのかが描かれる。ここには、ハッカー青年の生活、ハッカー倫理、崩壊したアメリカ中流家庭、ネットバブルに巣くう人々、強欲なベンチャーキャピタル、P2Pの衝撃、ゆらぐ著作権、うろたえるコンテンツ業界、バブル崩壊で破滅する人々、相次ぐ裁判・・と、2000年前後のネットビジネスのすべての要素が凝縮されている。 そして、この本が面白いのは、技術的にもビジネス的にも、大きな転換期に出現した「ナップスター」という特異な存在も重要な要素なのだけれど、その渦中の人物像が克明に描かれているためだ。その素材としてインタビューや裁判資料、そして驚いたのは、どうやって入手したのか、膨大なeメールが使われていること。その意味でも、ネット時代ならではのノンフィクションの傑作、と言えるだろう。 翻訳は、WIRED NEWSの翻訳でいつもお世話になっている合原弘子さんと、ガリレオ翻訳チームのみなさん。だから、お世辞を言ったというわけでは、まったくありません(^^;)。 ●10/7/2003 先週の土日に放送されていたNHKスペシャル「治安は取りもどせるか」を見る。ここ数年、急激に身の回りの治安が悪化していることは、誰もが感じているはずだ。僕の場合も、引っ越す前のマンションでは数軒がピッキングの被害にあっていたし、実家は二度、空き巣に入られている。NHKの番組を見て、漠然と感じていた治安の悪化が、より明らかなものになった気がする。不足する警察官、組織化する犯罪組織、外国人グループ、少年犯罪の凶悪化・・。 過度に恐怖を煽るのも問題だし、事実を事実として認識しないまま、曖昧な不安感を鬱積させていくことも危険だ。急激な変化に国の組織も、私たちも戸惑っている最中だ。過剰な反応をせず、問題の箇所を一枚一枚はがすように丁寧に対処していくことが必要なんだろう。安全保障をめぐっても同様の姿勢が必要なんでしょうね。 NHKと言えば、「難問解決! ご近所の底力」も、楽しく&真面目によくできてますね〜。 ■9/30/2003 最近目にした、ちょっと驚く数字。 ●12月から開始される地上デジタルテレビ放送に向けて、中継局の「アナ・アナ変換」が行われ、そのために各家庭の受信チャンネルの変更やアンテナの取替え・方向調整が必要となるケースがある。この工事費用は国が負担するのだが、これがなんと、1800億円。この問題、以前から記事にしてきたが、00年2月の記事はこちら。 ●日本クレジット産業協会の調べによると、クレジットカードの不正使用による被害額は、2002年1年で、291億4000万円の被害。うち偽造分は56%の165億円。 ●経済産業省が主導する「IT装備都市研究事業」では、全国21地域(54市町村)に140万枚のICカードが配布された。この実験期間は終了したが、プロジェクトはそのまま継続し、それぞれ住基カードへと引き継がれる予定。(岩田昭男『ICカードビジネス』より) ●周りにまったく存在しない高額(100万円以上)宝くじ当選者は、実は、東大合格者の4倍もいる。(森永卓郎『ビンボー主義の生活経済学』より) へぇ〜、って言ってほしいわけじゃありません(^^;)。 ■9/24/2003 急に秋の気配で、カゼひきそうです〜。 さて・・先週の朝日新聞の「社会保障と年金改革」という記事が、日本の社会保障の現状を各国の状況と比較していてわかりやすかった。 世界の流れとして、ドイツ・フランス型=共助、アメリカ型=自助、スウェーデンなど北欧型=公助があって、これまで日本の社会保障制度は、ドイツを参考に共助の考え方できたが、現在は過渡期にあって、日本での規模・負担は、アメリカと並び、最も低い水準にある、という。提言としては、「基礎年金は全額を税金で賄うべき」「現行の基礎年金の給付額は低すぎる」「厚生年金の報酬比例部分は、移行期間をもたせて民間保険に」とのこと。 そして「どんな社会保障制度がふさわしいか。結局は、どんな政治哲学を選択するかという問題になる。公助なら社会民主主義、共助なら保守主義、自助なら自由主義という価値選択だ。こういう根本議論が、日本ではあまりにも欠落している」とのこと。 ‘あまりにも欠落している’根本議論、というのは多いわけだけれど(^^;)、私たちがどんな暮らしを求めているのか、重要な転換期にあることは確かなようだ。 ■9/17/2003 阪神フィーバー凄いですね〜。その大阪で先週、『ビッグイシュー日本版』という雑誌が発売された。この雑誌がユニークなのは、ホームレスの人しか売り手になれない、ということ。「ホームレスの仕事をつくり自立を応援する」というコンセプトで、まずイギリスで大成功し、世界(24カ国、50の都市・地域)に広がっているという。具体的には、最初は、一冊200円の雑誌を10冊、無料で受け取り、この売り上げ金2000円を元手に、以後は定価の45%(90円)で仕入れ、55%(110円)を販売者の収入とする、という。なるほど〜。 まだ雑誌を手にしていないので、内容はよくわからないのだが、ウェブサイトによると、読者層は20代〜30代前半を想定し、A4カラー32ページ、当面月2回発行。「若い世代の人々が彼らをとりまく社会的なマイナス条件をプラスに転換し、今という激動の時代を踏み台にして生きることができるようなオピニオン誌をめざします」とのこと。 こちら→ 発売後の評判、反応はどうだったんだろう。頑張って欲しいなぁ。 ■9/9/2003 終息したと思ったら、また、さざ波のようにやってくるSobig。今回は、ほんと凄いですね〜。 さて・・浜田忠久+小野田美都江著『インターネットと市民』を読む。市民活動とインターネットの関係について、これまでの経緯、日本と世界の比較、現在の問題、これからの可能性、と冷静に分析されていて、全体の状況を総覧するには格好の書だ。 かって、市民社会の実現に向けて、インターネットは重要な契機となる、とよく言われたものだが、今のところ、必ずしも期待されたようにはなっていない。また、国によっても、その状況も異なる。特に、独立系メディアは、韓国やアメリカでの盛り上がりに対し、日本では、いくつかの試みがあるものの、今ひとつだ。ネットはあくまでツールだから、そのベースとなる市民活動の力が、大きな影響を与えるのだろうが、このあたり何が違うのか、具体的なところをもう少し考えてみたいテーマだ。 ちょっと先になるが、「市民活動とインターネット ネットワーキングの20年と未来への躍進」と題されたシンポジウムが日本各地で開かれる。今年12月にジュネーブで開催される「世界情報社会サミット」に向けた、アジアNGO会議もある。勉強します。 ■9/2/2003 Sobigが凄かった〜。このままだと、コミュニケーション・ツールとしてのメールの信頼が揺らぐ。 さて・・本誌で連載していただいている藤元健太郎氏が薦められていたトム・ケリー著『発想する会社』を読む。アップルのデュオ・ドックやパームVなどをデザインした会社として有名なIDEOの‘イノベーションの技法’が披露されている。特に、チームの作り方、ブレインストーミングの仕方、オフィススペース環境のあり方に力点が置かれている。中でも「よりよいブレインストーミングのための7つの秘訣」「ブレインストーミングを台無しにする6つの落とし穴」は、なかなか面白かった。とりたてて奇抜なアイデアが書かれているわけではないのだが、かえって自信を感じさせ、その言葉が力強いのだ。‘会議’を有意義なものにするのはなかなか難しいもの(^^;)。近頃、ソロ・ワークが多いぼくですが、参考にします。 そういえば・・イラクは、ますます混乱し、アフガンの戦闘は続き、インドとパキスタンの間も、さらにきな臭い状態。世界情勢の動向には要注目だ。 ■8/26/2003 ようやく夏らしい夏。昨日(25日)の正午に、「大江戸打ち水大作戦」に参加。‘100万人が、同じ時間に打ち水すると、東京の気温が2℃下がる’というふれ込みに乗せられて、マンション前の道路とかベランダに水撒いた。ヒートアイランド現象解消・・とか、そうシリアスに考えていたわけではなく、ちょっと楽しそうだから。その効果のほどは、わかりませんが。 楽しくない話・・住基ネットの第2次稼働がスタート。櫻井よしこ編著『あなたの「個人情報」が盗まれる』を、共同執筆者の高間剛典さんに送っていただいて読む。アンケートによると12%の自治体が住基ネット回線とインターネット回線が繋がれている、との回答を得た、など衝撃の情報満載だ。メリットとリスクのバランスとか、費用対効果、が問題視されてもいるが、その効果云々の前に問題があまりに多すぎる。そして、住基ネットを導入すると誰が恩恵を受けるのか。土建からITを中心にした産業構造へのシフトさせようというビジョンも背景にはあるのだろうが、その手法と手段があまりに強引だ。 あと・・大量に舞い込むSobig.F。メールのフィルター掃除に追われて仕事がすすみまへん。みなさんもそうかと思いますが・・鬱。 ■8/19/2003 梅雨のような空の下で鳴くセミが、なんだか哀れだ・・。 さて・・日本の電力供給不足が心配されていたところに、アメリカ北東部で大停電。その原因や経済的影響など、関連情報がこれから徐々に明らかになっていくだろうが、改めて私たちの生活とエネルギーについて考えざるを得ない。 個人的には、今後、ますます分散型エネルギーシステムの構築が重要になるのではないかと考えている。さらに、不意に訪れるトラブルからどう‘自衛’するのか、ということにも興味がわく。 98年に「サバイバル・テクノロジー ──そこにある「危機」を生き抜くための技術」という特集を組んだ。その中で、「災害や戦争などの緊急事態に備えて5つだけモノを準備することができるとするなら、あなたは何を用意しますか?」というアンケートを行い、各界15人の方にお答えをいただいている。これが面白いので、未読の方は、是非。 ■8/5/2003 関東地方もやっと梅雨明けで、忘れていた夏の感触を思い出す。で、週末は、沢登りでシャワークライム。全身筋肉痛で動けません。 さて、先週取り上げた、「日本の自殺者、5年連続3万人超」について読者の方からメールをいただいた。最後の部分で「経済失政も大きな問題だが、‘心の問題’も積極的な対策が必要なことは、明らかだろう。」と書いたのだが、‘心の問題’という解決策を見出しにくい話よりも、98年以降の状況を考えれば、「経済失政」をもっと強調する必要があるのではないか、とのご意見。まったくそのとおりだ。 「構造改革を進めるともっと自殺者が増えるのではないか」という問いに、小泉首相は「構造改革がなければ、もっと痛みが増えますから」と述べたそうだが、ここ数年の経済失政が、これだけの自殺者増の原因となっていることは明らかで、政府・日銀の責任がもっと追及されてしかるべき、だと思う。 あと、徐々に話題の「blog」ですが、僕の個人的なblogも某誌で記事になったので、こちらでも紹介させていただきます。HWJ制作の裏話、とかは載せてませんが・・(^^;)。 ■7/29/2003 鬱陶しい梅雨が長引いたところに、暗い話で恐縮なのだけれど・・、先週の「自殺者、5年連続3万人超」というニュースが気になった。統計を取り始めた78年以降3番目の多さで、98年以降急増している。「経済・生活問題」による自殺が一気に増えたのも98年。この年は、経済成長率がマイナスになった年だ。そして、人口10万人あたりの自殺者数では、ハンガリーに次いで世界2位。これはあまりに悲しい。 一方、交通事故死は、70年代に1万6千人を超えて「交通戦争」と言われたが、最近ではそれも半減(小泉総理の談話はこちら→http://www.kantei.go.jp/jp/koizumispeech/2003/01/02danwa.html)。自動車保有台数は5倍にもなっているのに、交通事故死は半減させることができた。真剣に手を打てば、解決策は見いだせるのだ。 経済失政も大きな問題だが、「心の問題」も積極的な対策が必要なことは、明らかだろう。こうなるとあまり成果のあがりそうな具体的な話を聞いたことがないが・・精神的なケアの充実とともに「コミュニティ」や「祭り」や「芸術」が重要なキーワードになりそうな気がするがどうだろう。 ■7/23/2003 以前、医療をサービス業として捉え、患者重視の医療改革を目指す病院長にインタビューしたことがあったけれど、その後も、継続して医療のあり方について関心を抱いている。 先日、NHKの「クローズアップ現代」で、「相次ぐ医局廃止」というテーマを扱っていて、非常に面白かった。これまで教授を頂点にして、研究、教育、人事権まですべてを掌握していた大学の医局が廃止される動きが始まっている。若手医師が、医局間の技術交流がまったく行われてこなかった弊害を問題視して、自ら医局を飛び出し、欧米式の研修を始めた、という。(この医師が、『ブラックジャックによろしく』の心臓外科医、北三郎のモデルだった・・) こうした変化の背景には、インターネットの力、があると思う。これまで「受け身」だった患者が、インターネットを通じて大量の情報を獲得することで、「施される」側から、「選択する」側へと立場を変化させ、それに気づいた医師側が、「患者本位の医療」を改めて考え直している、ということだろう。 ひとびとが‘情報’の力を獲得することで、旧態依然とした組織が徐々に変化しつつある。こうした状況は、「医療」の現場以外にもありうるはずだ。現実の社会に変化をもたらしてこそ、インターネットの意義はある。そして、その変化の局面こそ、面白い。 ■7/15/2003 ブッシュ政権のボロが続々出てきているようだが、事を終えたあとに少しずつ訂正入れたり、ひっそり誤りを認める、というパターンも定着化しつつある。やはり始める前になんとかならないのか、と考えると空しくなるが、そのあたりの世論操作テクニックもここ数年で格段の進歩を遂げているんだろう。 さて、さる8日に発表された「人間開発報告書」によると、やはり、90年代以降、貧富の差が拡大し、50カ国以上で生活水準が下落した。特にサハラ以南アフリカの状況は深刻で、直接的な原因は、エイズの感染拡大によるものだという。一方で、1日1ドル以下で生活を送る人々は、30%から23%に減少。これは、インド、中国の改善によるもの、とのこと。 そろそろ「グローバリズム 賛成/反対」をただ唱えるだけでなく、もう少し議論を絞り込むべきではないだろうか。サハラ以南の状況悪化の原因は何なのか。かって大飢饉のあった中国での急激な改善はなぜなのか。サハラ以南と中国との違いは何なのか。紛争や教育の欠如、栄養不良、さらに民主主義との関わり・・など多角的に検証されるべきだろう。 ■7/8/2003 この夏、電力供給がどうなるのか、が話題だ。しかし、ここで改めて考えないといけないのは、ウェブボーターの質問でいとうせいこう氏が投げかけているように、‘この夏’のことではなく、中・長期的な将来のことだろう。 ジェレミー・リフキン著『水素エコノミー』を読む。焦点は、これからの石油生産量がどうなるのか、という一点に尽きる。ここでは、さまざまなデータを紹介しつつ、石油生産が28〜38年後にピークを迎えるとするグループと、8年〜18年後とする2つのグループに分かれる、という。 さらに気になったのは、「真剣に憂うべきは、ガソリンの不足よりも、食物を生産する費用がきわめて高くなるため、何億、何十億の人々が食料を買うことができなくなるという事態だ。自動車やトラックの代替エネルギーは存在するが、石油化学肥料の代替品はない。」という言葉。 こうしたリスクを回避するための解決策として、太陽エネルギーや風力・水力・地熱エネルギーによって水素に変換し、水素燃料電池による分散型エネルギーシステムを構築せよ、と説く。これを‘エネルギー・ウェブの時代’と言う。Hotwiredでも、98年に「インターエナジー インターネット化するエネルギーシステム」という特集を組んだことがある。 石油生産量をめぐってはさまざまな見解があるだろうが、その他の環境問題にも増して、より科学的な検証を重ねてほしいものだ。 ■7/1/2003 伊藤公紀著『地球温暖化』を読む。先週取り上げた『ダイオキシン 神話の終焉』と同じ「‘定説’の類にとらわれない目で環境問題を見る人がふえ、世に健全な議論が湧き、環境の話が本物の「科学」に育つことを願う・・」というシリーズ。 地球温暖化と二酸化炭素排出の関係について、さまざまな研究データを紹介し、「定説」に疑問を投げかける。過去の気温データの取り方にも、さまざまな方法があり、データの変動も大きい。気温変化との関連では太陽の活動との相関を大きく紹介している。 ただ、ここでも、定説が疑わしいからといって、何もしなくていい、と言っているわけではない。「京都議定書には批准しているのだから、二酸化炭素を削減する方向に動くほかはない。ただ、科学的検討と経済的検討をもっときちんとやる必要がある」という立場。 さらに、日本の場合、温暖化問題が政府予算からしても原子力発電の追い風になっていることを問題視する。「京都議定書は、なにが起こるか分からないから予防するというヨーロッパ方式に基づいている。だからドイツなどでは同じ論理で、事故や廃棄物の問題がある原子力発電所もなくそうとしている。」 地球温暖化をめぐってもさらなる科学的検証が必要だ、ということはわかったが、この問題を逆手にとって、原子力を推し進める日本・・。暗くなる。 ■6/24/2003 話題の渡辺正+林俊郎『ダイオキシン 神話の終焉』を読む。かつてのダイオキシン騒動がいかにいい加減なデータをもとにしたもので、その後のダイオキシン法がいかに不適切なものであるのか、ということを訴える内容。説得力はある。 この本は、市役所や市議が、ゴミ焼却炉から排出されるダイオキシンを問題視する自治会や市民を説得する材料として使われ始めているようだ。こうした事態を問題視した市民、NPO側が、問題の本の内容に関して、一斉に反発し、反論も出され始めている。市民団体側からすれば、活動そのものの存在意義に関わるだけに、黙ってはいられないのだろう。 また、日常生活を営む上で、健康に害を及ぼす環境問題はさまざまあって、限られた手間と資金をかけるなら、まず何から手を着けるべきかその優先順位を考えるべき、という指摘もある。すでにダイオキシン排出を制限するための高性能ゴミ焼却炉なども続々投入されているわけで、その効果が投資に見合ったものなのか、その他のなされるべき環境問題対策とのバランスを見ながら、しっかりと検証されるべきだろう。 双方の立場に立つ専門家の間で冷静かつ徹底的に議論し、科学的な見地から何が正しいのか、しっかりと立証してほしい。一般住民が望むのは、それだけだ。 今後の成り行きに注目したい。 ■6/17/2003 12日、映画の著作権保護期間を公表後70年に延長するという改正著作権法が可決されたという。あまりメディアの話題にもならず、ひっそりと決まった。改正のきっかけは、小津安二郎の『東京物語』の著作権保護期間切れが迫ったため、とのこと。 著作権をめぐっては、アメリカでのいわゆる「ミッキーマウス保護法」が有名だ。アメリカの著作権保護期間は、1790年に28年だったものが、1831年に42年、1909年に56年、1976年には75年と延長され、今年2003年にミッキーマウスの著作権が切れるはずだった。それが、ディズニー社などの強い働きかけで、1998年に95年に延長。これをめぐって、最高裁で違憲ではないかと争っていたが、結局、合憲と判断された。 こうした著作権至上主義をレッシグ教授などが創造性とイノベーションが殺がれるとして問題にし、日本でも、ようやく議論が活発になってきたところだ。先週も、「クリエイティブ・コモンズ」日本版をここで紹介したばかり。今回の‘東京物語保護法’も、アメリカに倣ってということか。影響は徐々に大きなものになりそうだ。 ■6/10/2003 先週、角川書店が「NPO」「ボランティア」の商標権を取得していることが発覚し、NPO関係者の怒りをかった。大手出版社も‘NPO’‘ボランティア’関連の雑誌を出す時代になったのかと、感慨深いものがある。が、その話題の取り上げられ方がこういう形ではあまりに情けない。 そして、今度は、ある企業が「ブログ/BLOG」の商標登録出願中という。これに対しても、blogコミュニティが大きく反発をしている。こちらの場合、その目的などわからないところが多いが、角川書店のケースと同様、その背景に存在するコミュニティへの配慮があまりになされていないとしか思えない。 これまでもあった‘コモンズ’と‘市場化’のせめぎ合いが、ネットを介したコミュニティの成立とその強化によって、徐々に形を変えつつあるようにも思う。 そういえば、レッシグ教授が中心となって運営されている「クリエイティブ・コモンズ」の日本語版がスタートしているようだ。アメリカ法から日本の著作権法との整合性を検討していく、という。 http://www.creativecommons.jp/ ■6/3/2003 チャンピオンズ・リーグ決勝、セリエA残留決定戦、と深夜早朝のサッカーTV観戦続きで、生活リズムがガタガタです。睡眠はどこに行ってしまったのか・・。 ところで、今年の夏の電力供給は大丈夫なのだろうか。最近、盛んに節電が呼びかけられている。産業への影響を考えると、停電という事態は回避されるに違いない、と予想しているが、そうなるとやはり原発再開ということになるんだろうか。 飯田哲也著『北欧のエネルギーデモクラシー』を読む。 「スウェーデンの総エネルギー消費量は、1970年代からほとんど大きな増加はみられず、エネルギー成長を伴わなくても経済成長が可能であることを実証した。」 「1970年代には、総エネルギー供給に占める割合が9%だったバイオマスが、97年には19%に倍増。これは、91年に炭素税を導入して以降の変化。地域熱供給とバイオマスとの組み合わせによって、省エネルギーを達成しながら、環境保全とエネルギー供給上の安全保障とを向上させた。」 「スウェーデン政府が発表したエネルギー未来像では、適切な経済成長を達成しながら、2050年までにエネルギー消費量を半減でき、その多くを再生可能エネルギーで供給可能とする。」 昨今の中東やアフガンの状況を考えても、エネルギー安全供給の選択肢を真剣に考えなければならない時代、と言えそうだ。 ■5/27/2003 ようやく特集をアップ(そういえば、Matrixというネーミングは、97年の創刊時からで、映画から取ったものではありませんので、悪しからず)。ホッとすると、忙しいのに、直接仕事のアウトプットに関係ないことをしたくなるのが、妙な癖。 で、また、マイ・リナックス・ブ〜ム。95年あたりから、使わなくなったマシンにインストールしては、ちょっと触って、ほったらかすというパターンが、数年おきにやってくる。岩谷宏氏の『Linuxの哲学』を手に取る。 「Linuxをマスターするための、唯一最大のコツ、それは失敗を含めて、あなた自身の体験の蓄積なのだ!そうやって、たっぷり時間をかけて、多様な体験を重ねたうえでの「あなた自身のLinuxシステムづくり」の過程には、一般的に、さまざまな「ものづくり」の過程に共通する苦労と楽しみがある。Linuxに自主的に取り組むことによって、私たちは、Linuxカーネルというタンポポから飛散する大量の種子のように広がり、地上に落ちて、オープンな共同体的手作りシステムを各地に根づかせ、育てていくだろう。」 この言葉、OSとしてのLinuxの価値を超えて、社会にコミットする姿勢として、これから大きな意味を持つと思う・・。 さ〜て、今回のマイブームのほうは、どうなることやら(^^;)。 ■5/20/2003 鬱陶しい天気が続いています・・このまま梅雨なんでしょうか〜。 さて、机の横に積読していた山形浩生氏の『たかがバロウズ本。』をようやく読む。で、その内容にビックリ。バロウズ翻訳、経済書翻訳、レッシグ翻訳、ハッカー倫理、シンクタンク的思考、啓蒙・・と、分散していたようにみえたこれまでの山形氏の活動がぎっちり凝縮。他の誰も真似できない‘文芸批評’。バロウズを俎上に載せつつ、「自由」とは何か、という個々人の生活に繋がるテーマを深〜く掘り下げている。スゴイ。 ようやく読めた〜、と思っていると、ちょうどサイトに全文pdfが挙げられたところ。 書籍にも書かれていた「著作権表示を残し、改変部分を明示する限りにおいて、自由な改変と再配布を認める」という試みも画期的。こうして蒔かれた芽が、いろいろな形で成長していくのだろう。 ■5/13/2003 近頃、「自由」ということをボーっと考える。ありきたりの言葉なのだが、曖昧だ。容易に手にすることができるようで、そのための手段や道筋がよくわからない。それに欧米人が「自由」を口にするとき、日本でのそれよりも、より輪郭がはっきりしているように感じる。「自由」というものは、自らが獲得するもので、現在の社会は、これまで徐々に‘獲得されてきた’歴史の上に成り立っている・・というような認識が欧米にはあるのか。そんな前提さえ曖昧な日本で、どこから考えればいいのか・・。 経済学者アマルティア・センの言葉。 「自由こそは発展の重要な手段であると同時に主要な目的であるとみなされなくてはならない」 リチャード・ストールマンの新刊エッセイ集『フリーソフトウェアと自由な社会』へのローレンス・レッシグの序文はこちら。 で、・・個人情報保護法案が、衆院を通過。 ■5/7/2003 みなさん、GWはリフレッシュできましたか〜。地方に出かけて、「こんなところで暮らしてみたい」と考えた方もいらっしゃるのでは? 図書館でたまたま、玉村豊男氏の『新型田舎生活の発想』を手に取る。軽井沢で暮らし始めた作家の生活を、編集者が事細かに聞く、というもの。その中に、「エレクトロ・コテッジを目指して」という章がある。今でこそ、そうめずらしくない‘田舎暮らし’という選択だが、この本が書かれたのは、84年。ファックスやワープロが、普及しはじめたばかりの頃。聞き手の「ファクシミリはすぐ使えましたか?」「どの出版社にもファックスの機械はあるんですか?」という質問にビックリ。わずか?20年で、隔世の感だ。インターネット出現以降の暮らしの変化を、改めて実感する。この流れはさらに加速するんだろう。 さらに・・人類がなぜ多様化社会を持つにいたったのかを、人類史をさかのぼって記したジャレド・ダイアモンド著『銃・病原菌・鉄』を読む。銃と病原菌って、まさに現在進行形のトピック。で、クルーグマンのコラム「銃・病原菌・失速?」はこちら。 ■4/22/2003 週末、長野県・上田でお花見。ワイアード・ニュースの翻訳や配信で常日頃ヒジョ〜にお世話になっている(株)ガリレオの皆さんが、恒例のお花見をされると聞いて、参加させていただいたのだ。メールでやりとりをしつつも、これまでお会いしたことのない方ばかり。社長の赤木さんや、東京での打ち合わせの際おみやげに、自作の大根を持ってこられたという伝説(^^;)を持つ合原さんの話をうかがう。丘陵地の自然に解放されたのか、下戸の僕にしては、けっこう飲んだ〜。 ときには、自然に囲まれるのも大切だ、と改めて認識。せっかくだからと、泊まった温泉に湯あたりして、フラフラが続いてます。 ■4/15/2003 次は、シリア、だという。 あらかじめ、予想はしていたけれど、実際口に出されると、何か自分の甘さを思い知らされる。まさか、そこまではやらないだろう、という考えがどこかにあった。政治家の本心などは、わかるわけもないのだけれど、「ここまではやらないだろう」という、ある程度のコンセンサスは、これまで出来あがっていたのではないだろうか。それも、過去の多くの犠牲を代償にして徐々に形成されてきたものが・・。しか〜し、なんて甘ちゃんだったのか。「理不尽だ」と憤る感覚が、徐々に麻痺してきて、ボーっとする。今は、中世っすか? あえて、言うまでもないだろうけど、フセイン像引き倒しヤラセ疑惑。 ロバート・フィスクのバグダッド・レポート 再び、クルーグマン。「この政権運営の焼畑式アプローチは、ブッシュ政権にとって都合の良いものであり続けるかもしれないということだ。 なぜなら、マスコミに大きく取り上げられるのは最初の勝利だけだからだ。 そして、不幸なことに、世界じゅうの残りの人々は、残された瓦礫の中で生きなければならない」 ■4/8/2003 春の陽気に誘われて近くの美術館で、「日本の風土と美」展を見る。そう有名な作品があるわけでもなく、こぢんまりとした展示だったが、ゆったりとしていてなかなかよかった。中でも、歌麿の浮世絵の奔放な描写に見とれた。たまに、美術館もいい。 隣接した公園は、ちょうど花見で、親子連れで大賑わい。大勢の車椅子のお年寄りも、介護の人に連れられて、桜の下でぼんやりしている。冬の寒さを越えて、生を満喫する気が公園いっぱいに溢れている。 とりあえず・・平和でよかった。 ・・「現実」がわかってない、などと非難・嘲笑されないよう、かっての「反戦平和論」に代わる現実的な平和論の構築が急がれていると思う。 ■4/1/2003 桜のつぼみが一気に開くいい季節だが・・。 イラク戦争、米英側の戦況は、当初の予測よりも悪い、という。さらに兵力増強するというが、実際のところ、何が起きていて、どんな判断が下されようとしているのか、メディアからではなかなかわからない。 戦時の報道が、どんなものになるのか、しっかり学習しておく必要があるだろう。中東でさえこうなのだから、近隣の事態に関しては、言うに及ばず。‘イラク後’が心配だ。 武田徹氏『戦争報道』では、こう言う。 「マスメディア・ジャーナリズムへの信頼はあくまでも習慣によって育まれた惰性的なものであり、・・改めて合理的に説明しろと言われても難しい」 また、田中宇氏『イラクとパレスチナ』では、 「日本における論調は、高圧的に変更させられるものではなく、発言者の背中をそっと押すようなソフトな感じで方向修正がなされているという感覚は、ある程度確かなものではないか、とも思われる」 こういう時だからこそ、多様な視点がアップされるネットの役割は重要だ。 ポール・クルーグマンの New York Timesの記事が翻訳されている。こちら→ <http://www.kt.rim.or.jp/~tfj/talk/Krugman.html> Zネットの日本語版は、こちら→ <http://rootless.org/z/> ■3/25/2003 ここではURLを示さないが、爆撃を受けたイラク市民の凄惨な写真が載ったサイトを見る。淡々と冷静に考えようとしても、やはり動揺する。怖い。攻撃が始まってしまった以上、こうした犠牲者が少なく済むことを願う。しかし、テレビの報道などではなかなか攻撃される側の状況などはわからない。女性キャスターも派遣されて、何か攻撃の印象を和らげようとしているかのようだ。 フセイン政権は早晩、打倒されるんだろう。しかし、これですべてが終わるわけではない。先制攻撃が報復を呼び、報復がさらなる報復を呼ぶ・・。世界の緊張は高まるばかりだ。‘平和’をいかに構築するのか、各自が真剣に考える必要があるのだろう。 「ありがとう、ブッシュ大統領」と題された朝日の記事でパウロ・コエーリョはこういう。 「ありがとう、今世紀、ほとんど誰にもなしえなかったことを実現してくれて──世界のすべての大陸で、同じひとつの思いのために闘っている何百万人もの人を結びあわせてくれて。その思いというのは、あなたの思いとは正反対のものであるのだが。」 ■3/18/2003 このところの夜11時台のニュースは、凄いことになってますね。フジなどは、毎日、北朝鮮ネタ。さすがに、近頃ではこちらも、笑って観る余裕が出てきたけれども、世界の重大ニュースはそれだけなのか、とあきれるばかり。ますますTVを観なくなる。 マスメディアへの信頼は、一般的にも急激に低下しているように思える。個人的には、サッカーW杯と9.11事件の報道がひとつのきっかけだろうか。各メディアの方針の違いがはっきりしたり、マスコミへの過度の信頼が揺らいでいく、というのは、ある意味いいことなのかもしれない。最終的には、自分で集めた情報を自分で判断しなくてはならない。そうしたメディア・リテラシーがこれからますます問われていくのだろう。 先日も、‘アメリカはダサイ’とイメージで全体を判断しようとしたことを反省。焦らず淡々と出来うる限りの情報を集めて精査しなくては。世界中のモノや流行を集めては、良いモノ、悪いモノを判断し、カットアップして取り込む術には長けている僕らなのだから、その範囲を政治や経済にも広げるべきなのだろう。 ■3/11/2003 週末、ピースウォークで日比谷〜銀座を歩く。4万人もの参加者があったというから凄い。いろいろな世代の人が、普通な感じで、「歩く」というのがよかった。しかし、運動系の団体も多く、ノボリやシュプレヒコールのあの雰囲気にはどうしても馴染めない。ああしたアピールの仕方に拒否反応を示す人も多い、ということにどうして気づかないのか。また、銀座に買い物に来た街頭の人々とも、距離を感じた。やはり、若い人が多い渋谷のほうが、ピースウォークには合っているのかも。 世界各地でも、反戦デモが行われたようだが、そうした動きとは、まったく関係なく、イラク攻撃への準備は着々と進む。最近は、ブッシュ政権の‘裏の意図’などを解き明かそうとするような文章を読んでも、何か空しい。 街を歩いて、すぐに何かが変わる、と思っているわけでもない・・。しかし、戦争するために、戦争する者の側に立つために、表だってはどういう理由を付けるのか、しっかり記憶しておく必要があるだろう。 ■3/4/2003 世界各地をめぐってきた反戦署名のメールがいくつも転送されてくる。ますます大きくなる平和を求める市民の声は、ブッシュ政権に届くだろうか・・。まず、足元から。今週末は、ピースウォークで銀座を歩こうと思う。 さて、先週につづいて「住宅」について、少し考えてみた。で、ネットサーフィンして、とんでもない情報にたどり着く。日本の風土にあった「木の家の作り方」をネットワーク上で「共有化」し、フリーでオープンなLinuxのような存在にしようとしているBe-h@usというプロジェクトだ。 このプロジェクトを考案した秋山東一氏は、屋根で集めた太陽熱を、住宅全体に循環するパッシブ・ソーラーのOMソーラー向けに、フォルクスハウス、というシステムを提案している。こちらはすでに、日本各地で2000軒以上が施工されている。この‘フォルクス’は、フォルクスワーゲンのような単純明快なコンセプトの住宅を普及したい、として考案されたもの。秋山氏がこの考えをさらに推し進めたものが、Be-h@usだ。 Be-h@usでは、セルフビルド・DIYするユーザーをも想定し、部材マニュアル、部材価格がネット上に公開され、さらに設計支援ツールまでが、シェアウェアとして公開されている。 こんな人がいたとは、ほんとうに驚き! あらゆる分野で言えることだけれど、現状に対する不満をただ垂れ流すだけのヒヒョー家は多いが、こうした代替案を自ら提案し、具体化している人は稀だ。すばらしすぎる! 詳しくは、こちら→http://www.be-haus.com/ ■2/25/2003 先日、読者の方に教えていただいた福島清彦『ヨーロッパ型資本主義』を読む。 「経済成長優先、効率市場主義で資本主義社会を作るのではなく、落ち着きとゆとりのある社会を作り、貧富の差をそう大きくせず、治安のよい状態を維持していこうというのが、ヨーロッパ型資本主義の考え方なのである。」 ここでは、社会保障や福祉の伝統や制度の違いからヨーロッパ各国の‘落ち着き’と‘ゆとり’を説明しているが、僕はすぐ“住宅”を思い出した。数日前にNHKの「世界・住むならこんな家 オランダ・夢の個性派マンション」という番組を観たのだ。ここで紹介されていた住宅のすばらしさといったら!豪華ではないけれど、シンプルに美しく使いこなされている。日本の生活に足りないのは、この住環境だ。いくらモノを買っても何か満たされないのは、住環境の劣悪さにひとつの原因があるのだろう。 一方で、日本では、インテリア雑誌が数年前からブームだ。世界中のモノが溢れかえった日本で、選択眼を鍛えてきた世代が、その対象をファッションや雑貨から、ようやく住宅に向かわせているということか。まだ、有名建築家をブランドとして扱うことが多いようだけれど・・。 僕はこうした流れを否定したくない。未来は、この‘モノが溢れかえった日本’の現状からしか生まれないのだから。暮らしやすい社会に向けて、個人の価値観の成熟の過程と考えたい。 ■2/18/2003 経済学者アマルティア・センはこう言う。 「二十世紀のもっとも重要な出来事は、民主主義の台頭であると迷わず言い切ることができる」 僕もまさしくそう思うが、一方で、その民主主義の力も、今、起きつつある理不尽なイラク攻撃さえ止めることができない程度のものなのか、という空しさを感じていた。 しかし、15日に行われた反戦デモに、世界各地で1000万人以上の人々が参加し、ベトナム反戦デモを上回る「史上最大」の規模になったことを知る。アメリカの保守的なメディアの論調もここへきて徐々に変わり始めている、という。もしかしたら・・。 池澤夏樹氏は、『イラクの小さな橋を渡って』のあとがきで、こう言う。 「この戦争を止められなかったら、次の戦争も止められないだろう。国際政治を動かすのは議論ではなく武力ばかりになるだろう。 ナシリヤの町で、一人の男がロータリーの縁石を白と緑に塗り分けていた。走る車の中から一瞬見ただけだが、ペンキの刷毛を動かすその手の動きをぼくはよく覚えている。世界中どこでも人がすることに変わりはない。自分と家族と隣人たちが安楽に暮らせるように地道に努力すること。それ以外に何があるか。 まだ戦争は回避できるとぼくは思っている。」 今度、デモがあったら、僕も街を歩こうと思う。 ■2/12/2003 近頃のアメリカはダサい。 主にアメリカのIT系ニュースを翻訳して流している者が、こういうのもなんなんだけれど、そんな印象は強まるばかり。「帝国」を推し進めるブッシュ政権には、何の理屈も通じない、という絶望感がつのる。 こういう時は、抵抗、とか、抗議、という行動には向かわず、別の(オルタナティブな)価値観を見つけて応援する、という行動パターンの私。このところの、ヨーロッパへの興味もその一環だ。 個人的には・・サブカル少年だった80年代始め、興味の対象は主にイギリスの動向で、当時アメリカといえば(特に西海岸は)、ダサイ国だった。しかし、80年代も後半になると、R・メープルソープやデビッド・リンチなど“狂気と退廃の国”として、また同時に、PCとVRの“デジタル・テクノロジーの国”として、徐々に注目しはじめたわけだけれど・・。 いま、僕的格付けでのアメリカのポジションは、80年代始めに戻りつつある・・。 ■2/4/2003 “豊かさ”って何だろうと考えている。 松原隆一郎氏は『失われた景観』で、こう言う。 「「より多く、より安い」経済成果を追求したところで、日本人は満たされなくなっているのだ。むしろ景観という経済活動を規制するもののほうが、豊かさを実感させるはずであろう。 『発展と景観保全のトレード・オフ関係』仮説は、日本以外の多くの国ではあてはまっていない。経済発展により、我が国ほど清潔な街路を有するに至った国は滅多にないのだが、それと同時にこれほど景観が悲惨でもある国も、類を見ないからである。」 さらに、オーツ キョーコ『オランダ式 倹約セラピー』では、 「オランダ人の倹約気質を語るには、「古いものほど美しい」という精神が大前提にあることを述べなければなるまい。オランダ人のもっとも重要な買い物は、単純明快、家、なのだ。家を構えることへの強い憧れと熱意は、彼らの倹約生活と深く太くつながっている。」 どうやら“住空間”と“過去の記憶”が、ひとつの鍵になりそうだ。ここで、戦後の日本社会がこれまで成し遂げてきたことをただ否定するつもりはない。私たちの社会が、何を失い、何を達成してきて、何が足りないのか。未来へ向けて、制度や個人のマインドのあり方を考えていきたいものです・・。 ■1/28/2003 先日、朝日新聞にガルブレイスの小さなインタビューが載っていた。日本の現状をこう考えている、という。 「相変わらずGDPを拡大することや、雇用率の高さを維持することだけが重視されている。日本のように経済が成熟化した国では、卓越性を測る新たなモノサシが必要になる。GDPが大きくなった結果、自分たちの生活が深く、多彩に楽しめるものになったかどうか、見直してみるということだ。芸術、科学、スポーツ、教育などがもっと投融資の対象になっていい。働くことが人間の最終目標でもなかろう。たとえ失業状態でも豊かさを感じる社会作りへと、施策の視点を変えるべきだ。この発想の転換の面で、日本には世界の中でリーダーシップをとってもらいたい」 そう言われてもな〜。おっしゃるとおりではありますが、そこまでの道筋をどうつけるのか。社会保障も福祉もないこの国で・・。社会保障といえば、名目GDPに対する社会保障費の比率は、ドイツやフランスは約30%、アメリカは16%、日本はなんと14%。その分、年功序列・終身雇用の従業員福祉で補っていたわけだが、90年代には、それも崩壊。 松原隆一郎は『消費資本主義のゆくえ』でこう言います。 「制度や規制、慣行を一気に取り払おうをしたことが、諸方面で不安を引き起こし、ひいては消費不況を招いている」 「経済主体の成熟というと、ほとんどの場合は労働者の熟練を指す。けれども消費にも熟練はありえる。たとえばヨーロッパでは、商品を買ったあとで‘使う’技術が蓄積されている。そうした文化においては、ブランド物のバッグを若者が買い漁ることは眉をひそめる行為とされている。消費資本主義をめぐる改革は、そうしたモラルや技術の再興とともに、斬新的に進められるべきであろう」 近頃、歴史や文化の重みをひしひし感じます・・。 ■1/21/2003 18日は、世界的に「イラク攻撃反対」のデモ。迷った末に、今回は参加せず。徐々に大きなうねりとなっているが、この声は、ブッシュに届くのだろうか・・。 さて、先週「ヨーロッパ社会を形作っている仕組みと、消費行動の合理的な理由が知りたい」とこの欄に書いたところ、たくさんの方からメールをいただいた。ありがとうございました! メールの内容は、受け継がれた伝統や慣習という視点から個人の消費行動を説明しようとされる方と、社会が階層化され、貧富の差が激しい・・という社会構造から説明しようとされる方、に大きく分かれた。が、どうも、まだすっきりしない。個人とシステムを結びつける「鍵」がどこかにある気がするんだけれど・・。 経済学者アマルティア・センは、こんなことを言っています。 「個人は、さまざまな制度から成り立つ世界で活動し生活しています。私たちの社会的チャンスや未来への展望は、どのような制度が存在して、それらがどのように機能するかによって大きく左右されるのです」 ちょっとずれますが、アルフィ・コーン『競争社会をこえて』という本には、こんな言葉がありました。 「競争的な価値観をもったシステムに属している人々は、競争を好むようになる傾向がある。そして、そうなることによって、システムを競争指向的なものにしつづけていくのである。どのようにしたら、この悪循環を断ち切ることができるのでだろうか。因果関係の連鎖のさまざまな結び目をいちどにゆるめようと試みるものである。・・われわれの信念と価値観が制度をかたちづくり、われわれの制度が信念や価値観をかたちづくるのだから、多方面にわたって努力を行うことがもとめられる」 とりとめもなく、すみません。僕も、宿題続けますので、何か情報ございましたら、ご連絡ください〜。 ■1/15/2003 近頃、ヨーロッパ社会が積み上げてきたもの、について考えている。例えば・・日本人は、一家に何台かのカメラを持っていて、新製品が出ると、買い換える傾向が強い。一方、ヨーロッパでは、ものすごく古いカメラや大型のビデオをかついでいる旅行者をよく目にするし、親子何代にもわたって使っているという机や、内装を変えながら、100年以上も前に建てられた家に住む、などという話もよく耳にする。これは、モノを大切に扱う、という美意識だけの問題なのだろうか。 日本では、デフレでちょっとモノが売れなくなっただけで、自殺者が急増するなど、社会システムがギシギシしてきている。モノを大切に扱うということは、その分、商品市場は回転していない、ということだ。では、ヨーロッパの企業や社会は、どうして成り立っているんだろう。労働時間も短いし、労働者に利益が還元されていない、というわけでもなさそうだ。それに、貯蓄率は日本人のほうが高いようだから、消費活動の分野や方向が違う、ということなのだろうか。バカンスでパッと使うとか、先の例で言えば、高いけれども、長持ちする家や机を買う・・ということなのか? そうすると、余暇娯楽関係の産業と、高級な消費財を作るメーカーが多いのか・・・? ヨーロッパを形作っているシステムに、興味がある。‘意識’の問題だけではない、人々の行動を左右する、何か合理的な理由があるはずだと思うのだけれど。子供のような疑問にとらわれてます・・。どなたか教えてください。 ■1/7/2003 あけましておめでとうございます! 根がパンク、ニューウェーブ育ちだからなのか、既成の概念を‘壊す’とか、‘新しい’ということに大きな魅力や意味を感じがちだ。しかし、社会が停滞し、現代社会の構造そのものへの批判を耳にすることが多くなると、ただ批判だけすることや、安易に超越モデルを提示することに、ちょっとした違和感を感じる。 例えば、私たちが失った価値観を見いだす場として、過去や異文化に学ぶことは大切だが、自分の立っている場を忘れて、過度に美化するのは意味がないのではないか。かといって、さまざまな問題を無視して、現状をそっくりそのまま肯定できるわけもない。 今年は、このあたりのバランスを踏まえつつ、そろ〜りかつ、深か〜く、いきたいと思います。みなさん、今年も、よろしくご愛読ください! |
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