2009年01月05日

●竹森俊平『資本主義は嫌いですか』

この金融危機をどう考えればいいのか・・、何冊か目を通してみたけれど、またなんだか感情的な議論に巻き込まれているようで、よくわからない。

が、これはいい。バブルがどうして起きるのか。対処のしようはなかったのか。まさにジグソーパズルが、おさまるところにおさまっていくように、徐々に「サブプライム危機」の全体像が浮かび上がる。学究肌の経済学者に多い、構築的だけれどやや固い文というのが、著者の特徴だと思っていたけれど、今回は、構成もひじょうに読ませ、スリリングな展開になっている。それでいて、ただ自身の論をただ主張するわけでなく、世界の経済学者が、ここ数年、何を論じていたのかをさまざま紹介しつつ、ひじょうにバランス感覚もあるし、論理的でもある。
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全体がしっかり構成されているので、なかなか一言で引用しにくいのだけれど・・

「「バブルの頻発」は世界経済全体の高い成長率を維持するために、経済システムの「自動制御装置」が働いた結果であった。高成長の維持が難しくなる局面に来ると、民間(特に金融機関)や政府が、さまざまな手段を動員して高成長の維持を図る。そのことが繰り返され、結果としてバブルが生まれた。

・・「サブプライム危機」を契機に、今度は「自動制御装置」も根本的に調整し直されるだろう。バブルの発生に歯止めをかけるということに重点を置いた調整がなされるのである。その結果、バブルの頻発もさすがにストップする。その代わり、世界経済の成長率は低下する。これが第一部の結論のあらましだ。」

「要するに「根本問題」は、「熾烈な競争」、「高利潤」、「計算の出来る危険」という、同時に成立させるのが不可能な三つのことを同時に成立させようという無理な要求をそのものにある。「サブプライム危機」とは、その「根本問題」が生んだ結果にすぎず、「根本問題」そのものではない。」

「今回のサブプライム危機の日本にとっての政策的なインプリケーション(含意)は、90年代の不良債権問題で懲りて、銀行中心のこれまでの金融システムに代わる、市場中心の新しい金融システムを、日本の政府、金融関係者が追い求めてきて、ようやくその答えをアングロサクソン型のビジネスモデルに見つけ出したと思ったところが、そのアングロサクソン型のビジネスモデルにも重大な欠陥が発見されたということではなかろうか。現在、経済界や経済論壇に感じられるある種の脱力感は、「改革目標」の喪失ということから来ているように思われる。やはり、一つのシステム(日本型)を別のシステム(アングロサクソン型)に改めれば、問題が解決するほど、ことは簡単ではないのだ。」

というわけで、結論が、そう単純ではない、というのがこの手の良書のまさに良書たる所以。一見わかりやすいと思えるエコノミストの感情的な発言にひっぱられないようにするためにも、こうした分野の教養の底上げが必要だなと改めて感じる(自分のこと)。

Posted by esaka : 01:17 | Comments (0) | TrackBack (0) | book / kei-zai

●一川誠『大人の時間はなぜ短いのか』

日々感じている疑問・・。
ベースは、物理的実在と知覚体験は、異なる、ということ。そこで、いかに多くの錯覚にとらわれているか、ということが説明される。その中で、もっとも面白かったのは・・

月は地上近くにあるほと大きく感じられる、という現象。光の屈折によっておきるものと思っていたのだが・・、

「月の錯覚については、いつくかの有力な説明が存在している。 実は、これまでの多くの研究によって、視覚空間は扁平な構造をしていることが知られている。人間の知覚にはこのような特性があるので、垂直線は水平線より長く見える。」

!! びっくり。
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で、歳を取るほど時間の経過が速く感じられる傾向の要因は、さまざま説明がされるが・・
「加齢が時間の長さの感じ方に影響を及ぼすことを示す研究は多い。現象としてはかなり安定したものといえる。ただし、この加齢効果の基礎にあるメカニズムはまだ特定されていない。心的時計や、新陳代謝の変化、注意の存在、注意の存在、ワーキングメモリーの機能低下など、様々な原因が考えられているが、こうした仮定の妥当性の検証や、これらの要因の間に相互作用における特性の理解については、今後の研究に委ねられているのが実情である。」

う〜む。ヒトの知覚がいかに、錯覚に満ちたものか、ということは理解できたが・・。まぁ、それだけでも十分楽しめたけれど。

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2008年11月09日

●養老孟司+竹村公太郎『本質を見抜く力』

 凄いタイトル。90年代前半ぐらいまでは、こうした大御所知識人(と言われる人)が、専門外のことまで、これがわからないのはバカ、という形で、バッタバッタと断定しまくる書籍というのがけっこうあって、それをまた、それなりにありがたく受け止めていたものなのだが、90年代後半から、徐々にそうしたテイストのものが少なくなってきたように思う。専門外のことまでに断定する勇気?蛮勇?を持つ人が少なくなってきたとも言えるだろうし、あやふやなことを根拠もなく断定すると、ネット経由ですぐ専門家の指摘を受け、それが大きく広まる、ということもあるのだろう。

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 とすると、やはり、ネット以後は知識人の発言の形態というか、編集の形式も少しずつ変わってきていたようだ。

 で、そんな時代にあって、めずらしく蛮勇をふるう方による対談、鼎談集。語りだから、より根拠があやふやな断定が盛りだくさん。まあ、だからこそ、楽しめる部分もある。

 しっかりとデータにあたり、わかっていること、わからないことを区別し、丁寧に議論を組み立てることは、ネット以後に受け入れられやすい形なのだが、この形は、ときに結論があやふやになって、一見、地味になりがちだ。

 という意味では、これは一見、派手な議論。派手に散らばり過ぎという感じもするが・・

「竹村 ……いま、人類にとって最重要課題は「このままではエネルギーが枯渇に向かうからどうやってそれを省力化、省エネ化していくか」ということです。CO2がどれほど増えるか、温度がどうなるかということは、結局正確にはわかりませんし、それらの数値を信用しても仕方がないと思いますね。」
「養老 ……炭酸ガスの削減というのは、要するに石油資源の削減ということです。削減して石油価格が高騰し、みんなで少しずつ小出しに使うようになれば、石油会社の寿命と収益はどんどん伸びる。頭がいいなと思うますね。一昨年、収益世界一になった企業はエクソンモービルでした。しかも、一つの企業としては史上最高の利益です。」

 CO2問題よりも、石油の枯渇のほうが大きな問題なのでは?というのは、このブログでも言ってきたことで、以前はあまり一般的は視点ではなかったと思うが、徐々に常識になっているのか、と驚いてメモ。

Posted by esaka : 02:54 | Comments (0) | TrackBack (0) | book / energy

2008年11月02日

●濱野智史『アーキテクチャの生態系』

「WIRED VISION」で、ブログを連載していただき、その連載がもととなって書籍化されたから、というわけではないが、近年刊行されたITに関わる評論の中では、傑作と言える
のではないだろうか。

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 ブログ連載が元となっているのは、6、7章だけで、書籍の全体像は存じ上げず、最初に手に取った時には、予想以上のボリュームに、やや心配になったのだが、読み進めると、その分量の多さは、濱野さんの初の書籍という力の入れようがわかり、納得する出来上がり。そして、その分量の多さにも関わらず、とても読み進めやすいのは、濱野さんの論理的思考が明快で、その展開がスムーズだからだろう。

「アーキテクチャ」と「日本」に着目し、具体的には、2ちゃん、Mixi、ニコニコ動画、といった日本独特のソーシャルウェアに関する分析が行われているわけだが、ここに至る背景には、レッシグ、東浩紀、北田暁大、佐藤俊樹・・といった、情報社会に関する最前線の思想をしっかりと汲み取った上で、まさに「今」と「日本」が考えられていて、目の配り方のバランスが、まさに絶妙と言える。

 そのために、濱野さんが「はじめての書籍」にかけたエネルギーも感じて、これだけのボリュームになったことも納得できる。ITに関しては、批評の分野でもアメリカからの輸入超過だが、この本は、十分、英訳され、英語圏で読まれる価値のある内容だと思えた。

 書籍を編集された、NTT出版の小船井さんも、お疲れさまでした〜。言及されるウェブサービスの写真などが入っていると、より取っ付きやすかったと思いましたが、どうでしょうね・・。

Posted by esaka : 03:16 | Comments (0) | TrackBack (1) | IT / book

2008年11月01日

●岩田規久男『景気ってなんだろう』

 久しく経済学のお勉強から遠ざかっていたのだが、このところの「100年に一度の津波」ということで、この事態を経済学者の皆さんはどうお考えなのか知らねば、と思い、まずはいつものように岩田先生に頼る。

 出版は、10月10日だが、リーマンショック以降の世界経済の激動が、ここに反映されていれば、なおタイムリーだったんだろうな。

 相変わらず、素人を相手にしていただいても、わかりやすく本質を解説していただいているように感じる。この本での鍵は、「景気を安定させる方法はあるのだろうか?」という6章だろう。で、公共投資や減税が期待されたほど景気対策には寄与しないこと、インフレターゲットの有効性が説かれる。

Posted by esaka : 03:15 | Comments (0) | TrackBack (0) | kei-zai

2008年10月05日

●勝間和代『読書進化論』

 ここ数ヶ月、アウトプットのしっぱなしというか、自転車操業的なインプット、アウトプットを続けたので、少し頭をクールダウンする必要があった・・。コンピュータのデスクトップとオフィスと自宅の机の上の整理、あとメールの受信箱にたまった未整理のメールの振り分け・・という作業が、頭の中の"デスクトップ"を整理し、熱を冷まさせる・・。で、久しぶりに落ち着いて読書。

 読書について書いてある本を斜め読むのは、今の状態にはちょうどよかった。内容は・・これまで著者が書かれた本の宣伝ともいえて、密度が高いとは言えないが。面白かったのは、この視点・・。

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「私が2003年にマッキンゼーを辞めるときに、マッキンゼーの先輩、本田桂子さんと川本裕子さんと食事をしたのですが、そのときに、ふたりとも「本はいいわよ」「本を出すと人生のステージが変わるから」と出版をしきりに勧めてくれました。……おふたりとも、著書を機会に仕事の幅が広がり、ほかの人に対する知名度がぐんと上がったということでした。」
「さらに、私は、本というものは、「著者が書店を通じて見知らぬ人たちに名刺を配っている」イメージに近い、と思っています。」

 情報収集という面からの書籍の役割とは別に、自らの仕事環境をよりよいステージに持って行くために「書籍」をひとつのツールとして扱い、それをあからさまにする、という姿勢がある意味新鮮だ。こうした姿勢が、ライフハック的視点を売りにするMBA出身者に多いのは・・意見は差し控えたい・・笑。

 これまでも、アガリスクのようないかがわしい商品が(政治家の本のその類いか?)、書籍を自らの信用増幅装置のように使っていたけれど、これから、書籍というコストのかかるニッチな情報伝達装置の重要な役割として認識されるように思う。

・・となると、これから、そのコストの分担を著者が負うモデルも増えるかもしれない。自費出版と通常の出版との境界がわからなくなる、というのは、ブログの延長として、ある意味自然な成り行きだが、これまで出版が培ってきた信用を食いつぶすという意味では、ますます出版業の末期に近づいているという感じはするが・・。

Posted by esaka : 02:08 | Comments (0) | TrackBack (0) | book

2008年09月28日

madame FIGARO.jp

長らく、ご無沙汰してしまった・・。
ようやく秋の気配だけれど・・、夏から準備していた企画がようやくプレ公開。

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グリグリ動いたり、パタパタめくれたりします・・。

・「フィガロジャポン」のウェブサイトmadamefigaro.jp/

落ち着いたら、また次かな〜。は〜。

Posted by esaka : 22:47 | Comments (0) | TrackBack (0) | IT

2008年07月21日

●竹内一正『グーグルが日本を破壊する』

 内容を確認せずに、タイトルだけで適当に手に取ってしまったのだが・・。一般向け新書とはいえ、これは2008年に出すべき本ではないのでは。新しい視点がほとんどない。一カ所、面白いデータがあったので、そこだけメモ。「東洋経済」06年5月13日号から。
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「電通は、松下の二倍にも達しよかというとんでもない高給取りである、さらに22歳から59歳までの「生涯給料」で見ると、差は顕著だ。
・広告会社……電通 4億7000万円 博報堂 4億2000万円
・広告主……トヨタ 3億10000万円 松下電器 2億5000万円
そしてテレビ局は広告会社の上をいく。たとえばフジテレビの……生涯給料は5億7000万円である。……
 給料の低い広告主が、二倍近い高給の広告会社を通して、二倍を超える高給のテレビ局に、年間二兆円もの広告費用を支払っているのが日本の広告業界なのだ。」

Posted by esaka : 23:11 | Comments (0) | TrackBack (0) | book

2008年06月22日

●岡本一郎『グーグルに勝つ広告モデル』

 本のタイトルとは、かなりかけ離れた内容。だが、ビジネスモデルの変革を迫られる既存のマスメディアがどうしたらいいのか、という分析は、これまでありがちだったその危機を煽るものではなく、きわめて冷静。

 既存マスメディアは、ネットの一般化で、対策を迫られているが、それは、ネット対テレビ:ラジオ:雑誌・・というようなものでなく、それぞれのメディアが、それぞれの特徴、特質をよ〜く考え直して、必要に応じて、ネットも使いつつ、新たなビジネスモデルを構築せよ、という至極まっとうな話だ。
 
 そこで分けて考えるべきなのは、ネットかマスメディアか、ということではなく、例えば、ビジュアル×テキスト、ブランディング×情報量、ジャーナリスティック×エンタメ・・というような、流通するコンテンツの内容によって適した情報流通の選択がある、ということだろう。

 すでに、ネットは、メディアの対立軸にあるのではなく、コンテンツ流通経路のひとつとして考えるべきものということだ。

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 で、この本のユニークなのは、マスメディアのビジネスモデル分析に終わらずに、マスメディアの意義についてまで、あえて踏み込んでいることだろう。

「言論機関には偶発接触性が求められます。たまたまニュースに出会う、ということが必要なのです。自分が望んでいない情報にも偶発的に出会うからこそ、自分と異なる意見を持つ人が世の中に多数存在することや、意識することのなかった暗黙の規範を学ぶことができるわけです。……
 一方、インターネットメディアは自分が望む情報だけを効率的に収集してくれる機能をどんどん進化させています。……マスメディアが健全な民主主義を維持する最後の防波堤になるかもしれない、と筆者は考えています。」

このあたりは、キャス・サンスティーンの「サイバー・カスケード」を代表によく言われていること。また、
「情報は断片的に生み出されて編集され、プラットフォームに乗せる形に変換されて流通し、最後は貨幣と交換されるという、「知のバリューチェーン」ともいうべき経済システムの中で生み出されています。
 ウィキペディアは、グーテンベルグからグーグルが登場するまでの「旧世界」がずっと発展させてきたこの「知のバリューチェーン」から、無料で情報という栄養をもらってコンテンツを拡充するという寄生虫のような構造で肥大化しています。
 ここで問題になるのは、ウィキペディアがフリーであるがゆえに、強大な普及力を有しているという点です。そのため「知のバリューチェーン」を循環する経済価値が減少し、ウィキペディアが循環的に依存していた「信用できる」情報源が、事業運営上の深刻な困難を迎える可能性があるのです。そうなると、ウィキペディア自体も中長期的には生きながらえることができないでしょう。
……そもそもウィキペディアに記述されている「みんなの知恵」が、根源的には社会がコストをかけて育んできた知の基盤の拠って立っていることを、ゆめゆめ忘れてはならないと思います。」

もう一つ、個人的関心が深い部分を引用。
「今現在、我々が持つクリエイターのイメージは、印刷物やテレビCMや番組といったある規定の枠組みの中で、ルールにしたがってコンテンツを作る職人、というものです。
 しかし今後は、メディアの枠組みそのものを作っていく、そしてその枠組みが市場の文脈でどのような利用のされ方をするか素早くセンスして、枠組みとコンテンツの両方を進化させていく、といった能力が、クリエイターには求められるようになるのではないでしょうか。」

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2008年06月08日

●高橋克徳 他『不機嫌な職場』

秋葉原で通り魔・・。ヒリヒリするような不満、不機嫌が社会に充満している・・。

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この本の最後の部分から・・

「企業という場だけでなく、学校や家庭、地域社会など、多くの場で関係が希薄になり、お互いが関わりを持たず、孤立していく状況になってきている。その結果、隣の人が何をしているのかわからない社会になり、自分の鍵をしっかり閉めて、気をつけていなければ自分の身が守れない社会になりつつある。
 いろいろなものが便利になり、一人ひとりは経済的に豊かになっても、いつも不安を抱えながら生きていく社会になりかねない。それでよいのだろうか。
 協力し合うという行為は何も、ただ単にみんなで仲良くしましょうと言っているわけではない。また昔のように村社会をつくり、協力を強制することは難しくなった。いやゆる集団主義という形での協力関係は成り立たない。……
 組織のための個人でも、個人のための組織でもない、個人と組織がともに支え合い、良い影響を与え合う、新たな協力関係をつくりだしていくことが必要なのだ。
 そのためにまず、多くの人たちが疲弊し、場としたの魅力を失いつつある企業という場に、新たな協力関係を構築していく。その上で、さらに父親、母親として、あるいは世の中に関わる主体として、協力関係を実現していく。」

社会に不安と不機嫌が満ち満ちているように、家庭にも、そして、職場にも、そうしたエネルギーは伝播し、充満している……。そうした問題を組織・人事コンサルタントが、職場の問題として、真摯に問いただしている。
「人は多様である。いろいろな良いところを持っている。その良いところを認めてもらって嬉しくないはずがない。自分を認知してくれる、個人、組織、社会に対して人は好感を持つ。そして、その個人、組織、社会に対して、自分が何か貢献できないか、という前向きな感情を持つ。
 しかし、今の会社の中では、社員はなかなか認知される機会がない。それは、会社の中の評価軸が「一軸」になってしまっているからだ。その一軸とは「業績」である。業績をあげた人は偉い、そうでもない人はそうでもない、という認知環境になっている会社が多いのではないだろうか。
・皆がやりたがらない仕事を引き受けてやった人
・部下の面倒をいろいろとみてやった人
・主張し合って譲らない人々の仲介役になって調整した人
・クレームにいつも向き合って対応する人
・元気に振る舞うことで、皆を明るい気分にさせてくれる人
など、会社には多様な能力が集まり、多様な協力があるからこそ、全体が上手く回っていく。……自分を認知しない個人、組織、社会に対しては、人を愛情を弱める。……
 残念なことに、現代は認知飢餓社会である。」

長くなってしまったが、もう少し引用しよう。ここで語られるのは、日常生活の中で、あまりに当たり前とも思えることだけに、今の社会の混乱ぶりがわかるというもの。ちょっと前だったら、何を説教じみたことを・・と一笑に付されたかもしれないようなことが、なにかとても大切なことのように思える・・。
「当たり前のことだが、誰かに助けてもらったら、「ありがとう」と言うのは礼儀であり、人が気持ちよく生活していくための昔からの知恵である。しかし、こうした言葉を心から言えない人たちが増えているのも確かだ。……
 感謝という行為は、援助行動を強化していくことにもつながる。特に、相手が喜ぶことが自分の喜びになっていく。こうなってくると、自発的な協力行動が生み出されていくことになる。相手の期待に応えよう、あるいは相手の期待以上の行動をしていこうという意識が出てくる。……
 あなたは、この一週間で、心から「ありがとう」という言葉を誰かに伝えたことが何回あっただろうか。……ぜひ、ご自身に問いかけて欲しい。こうした感謝と認知をお互いに自然に伝え合うことで、援助行動や協力行動を当たり前の行動に変えていくことができるのである。」

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2008年05月21日

●細川敦『なぜ大人がDSにハマルのか?』

「DSが、活字というアナログ商品を、デジタル商品として成功させてといってよい。以前から、活字はいろいろな媒体でデジタル化されてきたが、デジタルのメリットを十分に活かしきれておらず、大きなヒットになることはなかった。……
 そんな中、「脳トレ」が大ヒットしたのだ。「脳トレ」には、ゲームが持つインタラクティブ性を活かして、スコアアップによる「爽快感」と「上達感」を得る楽しみが付加されていた。デジタル化(ゲーム化)によって、付加価値が生まれ、それが多くのユーザーを惹き付けた結果である。
 本をベースにDS用ソフトを開発し、デジタル化の恩恵を最大限に得られる実績を示したことで、多くの出版社が、自社コンテンツをDS用ソフトにしたいと思うのは、きわめて自然な成り行きである。」

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これまで10年近く、いろいろなメーカーがてを出しては、なかなか成功しなかったe-bookが、DSの登場であっさりと覆されてしまった。文字認識が、ひじょうに優秀なので、ますます「学習」用途に使われていくはず。この本の最後にも書かれているが、あとはネットワーク化がどこまで進むかだが、ネットワークの部分を重視すると、かえってiPhoneなどと競合になってしまう気もする。
日本の家電メーカーができずに、Appleが成し遂げていて、成功している一つの要因に、搭載する技術を絞り込んで、インターフェイスをわかりやすくまとめる……ということがあると思うが、DSはその流れの中にある、とも言える。出自が、家電やPCでなく、ゲームなのがよかったのだろう。あとは、ソフト開発・販売がどこまでオープンにするか、というところかな。

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2008年05月20日

●兼元謙任+佐々木俊尚『「みんなの知識」をビジネスにする』

はぁ〜。いろいろあって、途絶えてしまった・・。久しぶりに、また本などの備忘録を再開。

あとがきに、この本の目的と内容がよくまとめられている。

「本書に収録した6つの対話でわれわれが考えようと思ったのは、集合知という漠然とした概念と、実際の「ものづくり」がどこでつながるかということだ。
 もし集合知とモノがつながるのであれば、そのつながりの部分はどんな接着面になるのか。接着させるのはアーキテクチャーなのか、それとも人なのか。企業なのか、それともブロゴスフィアのような個人の集合体なのか。」
「今後期待される大きな流れとして、集合知ビジネスがコンテンツからプロダクトへと進むという、そういう方向性があるのではないかと考えているからである。そのあたりは2007年に日本語版が刊行された書籍『ウィキノミクス』にも詳しく書かれている。
 われわれが考えているのは、こうしたビジネスを日本で実現していくためには、どのようなハードルが存在し、どのような可能性があるかということを浮き彫りにすることだ。」
「集合知はボランタリーな世界ではあるけれども、しかしそれをビジネス化することは決して否定されるべきではない。
 ……Web2.0の登場によってインターネットには巨大なデータベースが出現しつつある。このデータベースをどのようにして上手く有効利用できるような仕組みを作っていくのかということが、大げさに言えば今後の人類にとっての大きなテーマだろう。」

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近年出された書籍の中では、ドン・タプスコットの『ウィキノミクス』は、ネット界の今後に、かなり重要な示唆を含んでいると思っている(以前のエントリー)。社会全体として進んでいる、オープン性、情報共有、という方向が、ビジネスにどう影響をもたらすかを描いたものだ。それはひじょうに面白いのだが、まだ、あやふやなところも多い。
今回の本も、まだ、はっきりとした結論を出すまでには至っていないが、『ウィキノミクス』から一歩踏み出し、日本ならではの『ウィキノミクス』を考えようということだろう。佐々木さんのブログの今後の展開に期待したいな。

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2008年01月27日

●吉田智子『オープンソースの逆襲』

凄いタイトル、すごい表紙・・。

「日本でもオープンソースが注目され始めて5年以上の年月がたっていますが、中心となっている人はずっと変わっていないという現状があります。……
 6年ほど前なら、中学や高校時代に自宅や学校のクラブでプログラムを書いていた経験のある大学生や、大学生になってからコンピュータを使うようになったけど、UNIX環境にどっぷりつかって、プログラムを書くことや、ネットワークを構築することに時間を費やしている学生に、頻繁に出会うことができました。しかしここ数年、そのような大学生は確実に減っています。」

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う〜ん、どうなんだろう。ケータイからのネットアクセスが当たり前になっている若者にとって、PCの存在そのものが面倒なものになっている、ということはよく耳にするけれど、いっぽうで、Web制作に関わる若者は確実に増えているようにも思うが・・。また、

「日本発のオープンソースが少ない理由として、日本の若者の多くが、お客様文化の時代を生きていて、それに満足しているケースが多いことが考えられます。」
「プログラムは書くけど、公開したことがない日本の若手に、「なぜ公開しないの?」と聞くと、「恥ずかしいから」と答えます。その恥ずかしさとは、「身内とカラオケで歌うのはいいけど、駅前で歌えと言われると恥ずかしい」に相当するそうです。」

う〜ん・・。納得もできるけれど、多くの反論がありそうなことも予想がつく・・。

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2008年01月26日

「YEN漂流 私はこう見る 鴻上尚史」

以前、「創造」と「空気を読む」は、時に相反することでもあるはず、と書いたけれど、鴻上尚史が似かよったことを言っていたのでメモ。もう随分前(1月8日)の日経連載「YEN漂流 私はこう見る 鴻上尚史」から。

「社会の閉塞感が強まっている。『空気を読めない』という言葉が典型だ。空気を読むという行為は自分で自分に制約を課すこと。『世間体』の復活ということか、日本全体に内向きの傾向がみられる。……
 もう一つの閉塞感は、日本人が結果平等への思いを忘れられないことからくる。……まじめに働いても格差は広がるという重苦しさに包まれている。そうした二重の閉塞感を和らげ、生きて行くことを楽にするのが文化の力であり使命だ。」

 こうした閉塞感を多くの人が感じていて、それを分析することから脱出する手段を模索したり(たとえば、鈴木謙介『ウェブ社会の思想』)、直接的なサバイバル法?を提示したり(たとえば、梅田望夫『ウェブ時代をゆく』)と、さまざまな方向から論じられるようになっているが、その閉塞感はますます大きくなるばかり、というところか・・。

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2008年01月20日

●『我らクレイジー★エンジニア主義』

Tech総研のインタビューをまとめたもの。有名エンジニアに、その「技術」について聞くのではなく、これまでの人生、楽しみ、仕事観という視点で聞いているのが、ひじょうに面白い。

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・大平孝之(プラネタリウム・クリエイター)
「エンジニアに必要なのは、まず社会のおける自分の位置づけや影響を認識することだと僕は思っています。自分の技術は何のためにあり、どう役にたつのか。何が判断材料の基礎となるべきか。その意味では、世に新しいものを生み出すだけが技術だけではありません。そでにあるものを守り、改良し、維持していく。そういう仕事にもとても大きな価値はあります。そうやって会社は支えられているからです。もっといえば、社会はそういう仕事で支えられているんです。」

・清水浩(慶応大学教授、Eliica開発)
「技術とは、人間がラクをするものをつくることです。それに尽きると私は思っています。……人間の寿命が飛躍的に延びたのは、3つ理由があります。ひとつは医学の進歩。もうひとつは、栄養。そしてもうひとつが、ラクに仕事ができるようになったことです。」

・苫米地英人(脳機能学者)
「会社の役に立つとか、世の中の役に立つとか、そんなことを考えたらダメなんです。面白いからやる、じゃないと。面白いことだけをやってる人が未来をつくるんです。あとはついていくだけです。
 そう考えると、今は悲劇的状況にある。……要するにアメリカ人は考えるだけ。この情報植民地状態から早く独立しないと。
 そのためには、利益がどうとか、特許がどうとか、ほざいてる場合じゃない。とにかくエンジニアが面白いことをやらないと。面白いと思っているパワーには、絶対にかなわないんだから。」

それぞれ凄い。以前アーティストが持っていたようなエネルギーとクレイジーさは、今は
突出したエンジニアこそが持っている性向のように思える。これもひとつの「いかに今を行く抜くか」に関する本、とも言えるけれど、あまりに壮快。

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2008年01月19日

●梅田望夫『ウェブ時代をゆく』

「現実の世界を眺めれば、「オプティミズムなんかどこから生まれるんだ」と言いたくなるほどの深刻な問題が山積である。ただそれを「絶望的だ」と言っているだけでは、エネルギーは身体に満ちてこない。……地球上はさまざまな矛盾や難題に満ちているが、それは過去から現在に至るまでずっとそうだったのであって、そう簡単に大きな破局を迎えたりはしない。人類の叡智をその程度は信頼してよいと思う。
 私は、「社会変化とは否応もなく巨大であるゆえ、変化は不可避との前提で、個はいかにサバイバルすべきか」を最優先に考えて生きてきた。そのことに後悔はない。社会をどうこうとか考える前に、現実問題として個がしたたかに生きのびなければ何も始まらないではないか、いまもそう考えている。」

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「いかに今を生き抜くか」を語ろうとする本が増えている・・。「個がいかにサバイバルすべきか」を考えるのは、とても重要だ。ここでは、今、メディアを表面的には支配している「環境」という言葉は、一回も?出てこない。たしかに声高に地球の未来と環境の将来を語る人々には、「個のサバイバル」面での危うさやもろさを感じることも多い。が、両極端にふれる言葉は、刺激的ではあるけれど、なにか居心地の悪さを感じてしまう・・。

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2008年01月08日

●鈴木謙介『ウェブ社会の思想』

ひじょうに楽しませてもらった。特に、個人的には、第二部へ入ってからの、展開のうねりは、心地いい。最後のまとめ部分は、背景として意識されているだろう知的バックグラウンドを共有できていないためか、やや唐突に感じられたけれど、それは、僕の個人的なことなのだろう。
今、日本の若者にの内面に何が起きているのか。その内面と、情報社会とはどう関わっているのか。そしてこれからどうなるのか、どうすべきなのか。
この点を語らせたら、当代随一だろう。そして、それが単なる批評に終わらず、人生論にも読めるのは、鈴木氏が、時代と並走しているからなのだろう。

「今回は、……、その未来像にいくばくかの「希望」を見出すことをひとつの目標に据えて執筆された。」

去年始めたウェブ雑誌のテーマを「アカルイ未来の創造力」としたけれど、マスメディアで流れる情報に右往左往したり、将来を過剰に絶望したりすることなく、現実の構造を見据えて、確実に一歩先に足を踏み出そう、というようなことを考えている人たちが、徐々に増えてきている気がする・・。

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2007年12月25日

●橋本努『自由に生きるとはどういうことか』

はぁ〜、風邪で寝込んだ〜。とんでもな連休でした・・。

先週、こっちに少し書いたけれど、こちらでは、別のメモを。「自由論」というと、現代思想の最前線をフォローしたがる展開のものが多くて、思想の潮流そのものに、今やあまり関心を持てない者としては、とっつきにくくなるばかりだったのだけれど、これは、戦後日本社会のサブカルチャーに焦点をあてて、その時代時代での「自由」とは何だったのかを追う。パブリック・スクール型自由から、ロビンソン・クルーソー型へ、そして、60年代後半「あしたのジョー」の"真っ白な灰になる自由"、70-80年代の尾崎豊の"「仕組まれ自由」からの卒業"、90年代のエヴァンゲリオンの"ちっぽけな自分の肯定"、そして、21世紀は、創造階級と、日本の実態としての格差社会。背景には、オタクと新人類、オウム、ギークス……。その系譜は、とてもわかりやすい。わかりやすすぎて、単純かしすぎでは、と思うほどだ。一見唐突に見える最終章も、順に流れを追っていくと、きわめて自然に見える。

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「私たちは、現在、「創造としての自由」をめぐって、次のようなジレンマに立たされているだろう。いっぽうでは「自らの潜在能力を最高度に実現せよ」とう時代の要請(イデオロギー)があり、他方では「潜在能力を開花させれば生計が成り立つなどと勘違いするな」という時代の現実がある。……
 ウェブの世界で創造性を高めていくことは、「産業の要請」というよりも、「テクノロジ−の要請」であるといえるだろう。すでに一定の豊かさとテクノロジーを獲得した現代の日本社会においては、クリエイターたちの多くは低所得層に留まっている。もし私たちが、勝ち組の人ほど創造的だと考えるなら、それはまったく偏見であろう。……
 勝ち組ほど創造的な人間というわけではないのであって、創造力と所得の関係を切り離して考えることができなければ、私たちの社会は息苦しくなるばかりだ。…… だから現代の自由論は、自由を促進するための、社会変革の問題を論じて行かなければならない。」

ここで言及されている「創造階級」の元になっているリチャード・フロリダ「クリエティブ・クラスの台頭」では、「アメリカでは現在、全米雇用人口の約30%にあたる3800万人の人々が「創造階級」に属しており、その富の総額は、全体の約47%を占めるという」。また、
「創造階級」「ボボス」「文化創造者」、そして「ロハス」。こうした新しい用語がとらえようとしているのは、90年代以降に台頭してきた、新しい成功者たちのライフスタイルである。アメリカでは、新しい成功者たちは、もはやこれまでの成功者たちとは異なり、きらびやかな顕示的消費を志向していない。むしろ彼らは、エコロジーの実践や、ハイ・カルチャーの受容、あるいは、脳と身体を鍛えるためのトレーニングといった、独自の生活実践(ライフスタイル)を切り開こうとしている。」

確実にこの流れはある、と思うのだが、現実の日本の社会を振り返ってみると、クリエイティブの評価という点では暗澹とすることが多いのも事実。
近頃、若者の間では、以前に増して「空気を読む」ことが仲間ウチで重要視されているみたいだけれど、「創造」と「空気を読む」は、時に相反することでもあるはずだ。まぁ、これは別の話ですね・・。

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2007年12月09日

●岡嶋裕史『構造化するウェブ』

とりあえず、メモだけ・・。

「ウェブ2.0はセマンティックウェブを理想型としながらも現実の技術に立脚している。誤解を恐れずに言えば、「使えそうな技術を寄せ集めて、できるところまでウェブを構造化しようとする気分あるいは雰囲気」がウェブ2.0である。
 したがって、ウェブ2.0的な技術やウェブ2.0的なサービスは存在しても、ウェブ2.0の技術、ウェブ2.0のサービスというものは存在しない。ウェブ2.0は……技術的実態や機能的実態ではないのだ。」
あとがきから
「ウェブが十分に構造化されることにより、情報マイノリティが疎外される事態は回避することが可能である。むしろ、個人がコミュニティを形成し、既存のマス情報発信主体を脅かす大きな力を手に入れるだろう。情報の構造化は、個人が社会に対して持つ力を拡張するといえる。……
 とはいえ、情報の構造化は個人が組織に勝利することを約束するものではない。……
 ウェブの構造化は利用者にもウェブ利用方法の変化を促す。たとえば、ウェブの特徴の一つであった匿名性の高さはウェブの構造化が進展すると低くなる。」

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